過去の展覧会

2014年

下村為山 -没後65年記念展-

下村為山 -没後65年記念展-

2014年11月23日(日)~12月23日(火)

為山は慶応元年(1865年)愛媛県松山市に生まれる。
18歳から洋画を学び、明治23年第3回内国勧業博覧会で油画「慈悲者殺生」を出品、褒状を受ける。明治の洋画界の俊才として世に出ながらも、明治24年従兄の内藤鳴雪を通じて正岡子規と出会ったことから俳句の写生を日本画において試み、俳画、俳味画の大家となった。
苦難の末、彩墨画といった新境地を開拓したことで名声を確立した。
昭和24年(1949年)疎開先の富山で85歳で永眠。

※明治30年樋口一葉の肖像画を描く、又明治44年には松山市制20周年に市の紋章のデザインを手掛ける。

参考図書


1992 「特別企画展 画家下村為山」 松山市立子規記念博物館
1993 「探求・下村為山」 渥美国泰 近代文芸社
1994 「画集・下村為山」 鴻池楽斎 思文閣出版
1999 「没後50年記念作品集 下村為山」 高橋俊夫 松山・下村為山顕彰会
1999 「下村為山(牛伴)俳句集」 高橋俊夫
1999 「没後50年 下村為山集」 信州新町美術館
2007 新春特別展「彩墨画の華 下村為山展」 松山市立子規記念博物館
田中敦子・草間彌生・ロッカクアヤコ・野間仁根 ギャラリーコレクション2014展

田中敦子草間彌生ロッカクアヤコ野間仁根
ギャラリーコレクション2014展

2014年8月23日(土)~9月23日(火)

残暑お見舞い申し上げます。
今年の夏季展覧会は、「ギャラリーコレクション展」を開催します。青木画廊がこだわって蒐集した作家たちの作品展です。見る楽しみから、持つ喜びへと、コレクターデビューの方もリピーターの方も、皆様のお越しをお待ち申し上げます。

さて今年の出品内容は、田中敦子・草間彌生・ロッカクアヤコ・金澤翔子など注目の女性アーティストを中心に、愛媛を代表する物故作家で野間仁根や古茂田守介などのアクリル、油彩、書、水彩・版画など約20点をご鑑賞賜りたくご案内申し上げます。

 

田中敦子 Atsuko Tanaka

1932年 大阪市生まれ
京都市立芸術大学および大阪市立美術館付設美術研究所に学ぶ。
1952年 金山明、白髪一雄、村上三郎らと「0会」結成。
1955年 吉原治良が主導する具体美術協会に、金山、白髪、村上らと共に入会し、同協会の主要メンバーになる。
1956年 電球と管球を組み合わせた光の服「電気服」を発表。
絵画作品は「電気服」などのオブジェ同様に、色彩豊かな円と曲線が絡み合う前衛的な作風で知られ、国際的にも高い評価を得る。
1965年 具体美術協会を退会する。
1998年 ドキュメンタリー映画「田中敦子もうひとつの具体」が作られる。
2001年 芦屋市立美術博物館と静岡県立美術館で大規模な個展が開催。
この巡回展で国際的な再評価が高くなり、草間彌生やオノ・ヨーコに並ぶ偉才と評された。
2005年 奈良県明日香村で制作を続けていたが、肺炎のため死去。
2012年 英国・スペイン・日本(東京都現代美術館)の3カ国の美術館で、「田中敦子-アート・オブ・コネクティング」巡回。
*具体は1954年芦屋で吉原治良率いる前衛美術グループとして結成。
 「今までにないものをつくれ」という独創性を求め、世界を舞台として活動した。

ロッカクアヤコ Ayako Rokkaku

1982年千葉県生まれ、筆など一切使わず素手で直接アクリル絵の具をつけて段ボールやキャンバスに描くスタイルで知られる。
20歳頃から独学で絵を描きはじめる。2006年24歳で村上隆主宰の若い芸術家の登竜門であるGEISAIで受賞。
2006年スイスのアートフェアでの出展をきっかけにヨーロッパを中心に活躍。
2011年オランダ ロッテルダムのクンストハル美術館で大規模な個展「Colours in My Hand」が開催され、世界のファンを魅了した。
現在ドイツに在住。

■受賞暦■
GEISAI#4 スカウト賞 / 第8回 エネルギー賞
GEISAI#9 後藤明男賞 / GEISAI#10 スカウト賞

熊谷守一の独楽世界展

熊谷守一の独楽世界展

2014年4月27日(日)~5月18日(日)

クマガイモリカズ。
日本洋画史の中でひときわ異彩を放ち、明治・大正・昭和にわたる画業とその生き方は、没後37年経った現在も伝説のように語り継がれています。 哲学者のようで赤子のようで、老人のようで子供のようで、俗人のようで仙人のようで、貧しいようで富んでいるようで・・・・・・・熊谷守一の不思議な魅力は際限がありません。
このたび青木画廊は3回目の「熊谷守一展」を開催します。作家が生前に制作した版画を中心に水墨、書等30点を展示します。熊谷画業の魅力に触れて頂きたく、ご鑑賞をお待ちしています。

◆「熊谷守一展 画家がみつめたちいさないのち豊かな心」のご案内

  ミウラアートミュージアム 4月27日-6月15日

昭和31年、守一76歳 軽い脳卒中を起こした守一は写生旅行をやめ、ほとんど家を出ない生活を送ることになった。そのため画題は生活に身近なものが描かれるようになった。家の窓から眺める雨や月、庭に咲く草花や虫たち、大切に育てている鳥、そして共に暮らす猫など、描きたいものはたくさんあった。
そして、ついに独自の画風を確立する。

草や虫や土や水がめの中のメダカやいろいろなものを見ながら回ると、毎日回ったって毎日様子は違いますから、そのたびが面白くて、随分時間がかかります。

熊谷守一語録より

頼まれて何か好きな字を書けといわれた時は、「独楽」、「人生無根帯」、「無一物」、「五風十雨」など書きます。なるべく書きたくないのは、「日々是好日」とか「謹厳」などという字です。

熊谷守一語録より

古茂田守介を中心に 野間仁根・智内兄助展<br />― えひめに育まれた魂の作家たち―

古茂田守介を中心に 野間仁根・智内兄助展
― えひめに育まれた魂の作家たち―

2014年3月8日(土)~30日(日)

今年は愛媛県美術館と町立久万美術館共催で「洲之内徹と現代画廊」が開催されました。(会期1/25~3/16)洲之内徹は古茂田守介と深い親交があり作品も高く評価しました。守介の没後、現代画廊で「古茂田守介遺作展」を2回開催しています。
青木画廊も古茂田ファンはもとより野間仁根や智内兄助の愛好家の皆様に、郷土の作家への関心を高めていただきますよう願って止みません。ぜひ起しいただけますようご案内申し上げます。

「芸術随想 しゃれのめす」 著者 洲之内徹 から抜粋

恥ずかしいといえば、私は画商になってからコモちゃん(守介)の死ぬまでの2,3年間、一生懸命彼の絵を売ろうとしたが、とうとう彼の生きている間には、一枚も売ることができなかった。
ひとつには、折から抽象絵画の全盛期で、彼の仕事が時代の好尚とは全く裏腹だったということもある。しかしそれだけではない。画商が新しい作家の絵を売り出すためには、まず自分がその作家の仕事に惚れ込んでいなければならないので、私がコモちゃんの絵を売ることができなかった。
私が本当にコモちゃんの絵に心を惹かれるようになったのは、むしろ彼がいなくなってからであった。彼の死んだ翌々年の正月に、碑文谷の家が火事で焼けた。幸い絵は助かったが、たいていはカンバスの耳が焦げてボロボロになったり、煙をかぶって画面がくすぶっていたりした。
そういうのを私は画廊に運んで、ひまを見ては手入れをしてたが、ときには石鹸水やペトロールを浸した布で、ときには清水で画面を拭ったり洗ったりしてるうちに、自分のその指先を通じて、私は堅牢な絵肌を作ろうとしたコモちゃんの苦心が、じかに伝わってくるような気がするのであった。


<Art Information>

◆熊谷守一の独楽世界展
会期 : 2014年4月27日-5月20日
会場 : 青木画廊
◆熊谷守一展~画家が見つめた小さい命・豊かな心
会期 : 2014年4月27日-6月15日
会場 : ミウラアートミュージアム
― 魂の書 ― 金澤翔子新作展

― 魂の書 ― 金澤翔子新作展

2014年1月10日(金)~26日(日)

昨年中はご愛顧を賜り、厚くお礼を申し上げます。
新年の幕開けは、「第2回 魂の書―金子翔子新作展」を開催します。皆様のご来廊を心よりお待ちしています。

翔子さんには上手に書こうとか、美しく書こうとか、うまく書いて褒められたいとか言う思いが一切ない。時としては紙からはみ出したり、勢いのあまり破れたり、しかしこんなことにも屈託がない。
かすれればいいとか、かすれなければいけないとか、一々考えない。
まして書き上がったものが美しいか醜いか、そんな心配など全くしない。
「迷いがない」という事は翔子さんにおいては「疑いがない」という事と言い換えてもよく、それ故躊躇というものが翔子さんの仕事にはない。

美しさを求めないのに、求めないままに、求めない所から、どうあっても美しさが生まれてしまうような仕組みが、おのずから行われている。

  「金澤翔子の書」金澤翔子2014カレンダーから引用

金澤翔子2014年「奔馬」カレンダー発売中!

他にポストカード・クリアファイル・一筆箋・翔子キャンディーなど翔子グッズを揃えていますので、お楽しみ下さい。


□金澤翔子 略歴□

1985年 東京都目黒区に誕生。生まれてすぐダウン症と診断される。

1990年

5歳のときに母、金澤泰子に師事し、書道を始める。

10歳のときに般若心経を揮毫、また全日本学生書道連盟展に「花」を出品。

2000年

柳田泰山門下となり、2004年に雅号「小蘭」を取得。

2005年

20歳で銀座画廊に於ける初の個展開催以来、ダウン症でありながら本格的な書家として活躍する姿が新聞・テレビで取り上げられるよになり、高い評価を得るようになった。

2007年

2010年

建長寺(鎌倉)に於いて毎年個展を開催。建仁寺(京都)に「風神雷神」を奉納。
「小さき花」(金澤翔子書・加島祥三著/小学館)刊行、テレビ朝日「徹子の部屋」出演。

2011年

TBS系「金曜日のスマたちへ」への出演、TBS本社ロビーや赤坂サカスで開催された個展が評判となる。
東大寺(奈良)をはじめ全国の寺社、百貨店、美術館にて個展、席上揮毫を行っている。

2012年

NHK大河ドラマ「平清盛」では題字を担当。

NHK「スタジオパークからこんにちは」に出演。鎌倉の建長寺、京都の建仁寺で個展。

2013年

東京銀座に「銀座金澤翔子美術館」オープン。

上野の森美術館・平泉の中尊寺・鎌倉の建長寺・広島の厳島神社・京都の建仁寺・奈良の東大寺・金子みすず記念館・香月泰男美術館にて個展